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「やっと晃(ひかる)を家に連れて帰ることができる」。母は絞り出すような声で語った。熊本地震で唯一、行方不明になっている熊本県阿蘇市の大学生大和晃さん(22)。4カ月ぶりに、晃さんの可能性がある遺体の一部が見つかった。不明となったのは、阿蘇大橋が崩落した険しい渓谷。「二次災害の危険がある」と行政側が捜索に二の足を踏む中、「息子を捜し出す」と手掛かりを求め、現場に通い続けた。晃さんとはまだ断定できていない。だが、両親の執念が実を結ぼうとしている。
10日朝7時半から、晃さんの父卓也さん(58)、母忍さん(49)と兄の翔吾さん(24)は、前日に続き川底で再開された捜索の様子を見守り続けた。
午前10時すぎ、卓也さんの携帯電話に県の担当者から一報が入る。「車内で、人らしきものと衣服を発見しました」。卓也さんらは捜索現場に目を凝らし、関係者への電話に追われた。
両親「やっと晃を家に」 不明大学生捜索、4ヵ月現場通い続け 熊本地震
車体(中央)引き上げを試みる捜索隊員=同日(熊本県提供)
苦難の道のり「どん底だった」
ここまで、苦難の道のりだった。晃さんは4月15日夜、熊本地震の前震で被災した熊本市の友人宅に飲料水を持って行き、同16日未明、乗用車で自宅に帰る途中、本震に襲われ、阿蘇大橋の崩落に巻き込まれたとみられる。
両親は連日、警察署や南阿蘇村役場に捜索を要請して回った。余震が続き、崩落現場付近での捜索は進まなかった。「捜索の動きも見えず、何を信じていいのか分からない状況だった」と卓也さんは振り返る。
本震から1週間後、初めて阿蘇大橋の崩落現場を訪れた。「ただただ、崩落の規模に驚いた」。県からは5月1日、「二次災害の危険」などを理由に捜索打ち切りを伝えられた。
5月13日午後、熊本県庁。地上捜索の再開を求め、両親は蒲島郁夫県知事に面会した。だが、前向きな言葉は聞かれず、父の表情は曇り、母は涙が止まらなかった。「どん底だった」と2人は言う。
行方不明になって100日目、車体を見つけた
息子を捜し出すのは自分たちしかいない−。卓也さんは仕事を午前中で切り上げ、忍さんも休職して崩落現場付近を連日訪れた。下流側の大津町で情報提供を呼び掛けるチラシを配り、支援者とともに独自の捜索を続けた。
6月23日、阿蘇大橋崩落地点の約5キロ下流で、車の金属板を発見。県警の調べで、大和さんの車と同じ車種と判明した。
7月24日には橋の約400メートル下流を捜索。そこで、岩の隙間から、大和さんの車と同じ黄色の車体を見つけた。行方不明になって100日目だった。
両親の訴えを受け、県は今月9日に地上捜索を再開した。10日、車体の運転席辺りで、捜索隊がついに紺色の衣服と、遺体らしき一部を見つけた。
捜索はいったん打ち切られ、11日に再開される。「生きているという期待もどこかにあった。残念だが、もう少しだと思う。明日、必ず出てきてほしい」。卓也さんはしっかりとした口調で語った。