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東京都世田谷区で平成12年12月、宮沢みきおさん=当時(44)=一家4人が殺害された事件は30日で発生から13年を迎える。節目の日の2週間ほど前に、長年、犯人逮捕に奔走してきた警視庁捜査1課の刑事が闘病生活の末に亡くなった。「未解決」というふがいなさを、遺族にわびたこともあった熱血漢。その旅立ちには、みきおさんの遺族も駆け付けた。「また一人、当時を知る人材を失った」(同僚)。月日の流れは捜査員にも確実に訪れている。
この刑事は、榎本和昭警部。捜査1課で未解決事件を捜査する特命捜査対策室で、世田谷一家殺害事件担当の係長を務めていたが、今月17日、膵臓(すいぞう)がんのため、58歳で死去した。
東京都あきる野市の葬儀場で21日に営まれた告別式。警視庁関係者ら100人を超える参列者の中に、みきおさんの母、節子さん(82)の姿があった。節子さんは直前に体調を崩して静養していたが、「どうしても気持ちを伝えたい」と自宅のあるさいたま市から足を運んだ。
「大変、お世話になりました」。節子さんは榎本さんの妻と、3人の息子を前に感謝の気持ちを伝えた。参列を伝えられていなかった妻は驚いた表情を見せ、人目もはばからずに涙した。命を賭した夫の仕事が認められた気がした。
さかのぼること1年3カ月の24年9月、節子さんの夫、良行さんが84歳で他界し、榎本さんは病身をおして葬儀に参列した。節子さんに向かい、良行さんが亡くなる前に事件解決の知らせを届けられなかった無念さを打ち明けていた。
榎本さんは13年夏、成城署捜査本部に配属された。1度、警察署に出て再び捜査本部に戻った。本人と、捜査1課幹部の思いが一致した結果だった。身長180センチ超でかっぷくがよく、「エノさん」の愛称で親しまれた。一本気な性格で、捜査方針をめぐり上司らと衝突することも。
18年5月、捜査本部の元捜査員が現場周辺の住民に聞き込みをしたように装って虚偽の捜査報告書を作成していたことが発覚した。榎本さんは「部下のモチベーションを保てない。周りが信じられない」と周囲に漏らした。がんが見つかったのは同じころだった。
徐々に体力が落ち、体の自由が利かなくなったここ数年は、捜査資料の整理などが精いっぱいだった。
今年10月ごろ、入院先の病院で見舞った元成城署長の土田猛さん(66)は「中庭で大好きなたばこを吸い、遠くを見つめていた。だいぶ痩せて顔色も悪かったが、声をかけると笑顔になった」。後日、メールで「療養に努めてくれ」と伝えると、「ありがとうございます」と返信があった。それが最後だった。
時効の撤廃で事件は40人態勢で捜査が続けられているが、発生当初に捜査本部にいたのは1人だけとなった。「若手に引き継いでもらいたいことがたくさんあった。後輩たちは自覚を持ち、やるべきことをやってほしい」。土田さんはこう代弁した。